今の十代の子にとっては宇多田ヒカルと言っても少し遠い過去の存在になってしまったかもしれない。

私がまだ幼い時に美空ひばりさんがお亡くなりになったがその存在とまではいかなくても過去の人と言う様な印象があるかもしれない。

最近はやっている歌手で有名な女性シンガーと言えば、山本彩であったり、あいみょんであったり家入レオと言った所だろうか?

そういう子たちを聞いて育った子たちに昔の宇多田ヒカルを聞いてもらっても共感はしてもらえないかもしれない。

ラブソングに共通する一種のテーマ性に関しては共通するところはあるかもしれないが現代の女の子には少し暗すぎる?かもしれないなんて思うのだ。

音楽的な暗さで言うならばみゆき先生事中島みゆきの方が圧倒的に暗さはあるが宇多田ヒカルの歌にはなんとも言えない暗さがあるのである。

            彗星のごとく登場した天才歌姫

あまりにもここら辺の登場の下りは何べんもいろんな人々が論じてきたことかもしれないが、宇多田ヒカルが登場してきた時は正直何が起こったのかわからなかった。それが正直な感想なのである。

時代は小室哲也の曲や、ビーイング系列の曲、ビジュアル系の曲と大きく分けるとこの三つが幅を利かせていた時代である。

ミスチル、スピッツ等がいるではないかと言う人もいるが、それは90年代を遠くから見たときに存在感を感じるのであってあの時代に生きた人間にとっては

まさに上記の三つのカテゴリーが幅を利かせていたと言っても過言では無いのである。

 

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               TRF

JPOPを創業したのは松任谷由美や吉田拓郎、井上陽水、フォーククルセダーズであったがJPOPを完成させたのは上記の三つのカテゴリーだったと私は思っている。

売上で見ても彼らが日本の音楽業界に与えた影響力は測りしれないのである。

そうその中に突如として宇多田ヒカルが登場してきたのである。

空間が少しゆがむ位の衝撃であったのであろう、東日本大震災の様な衝撃ではないのである。静かにまるで地面を侵食して日本列島の形を変えていくようであった。自動的に→Automaticに…

アメリカの音楽業界でもR&Bなんてものはとっくのとうに民衆に知れ渡っており

ベイビーフェイス、マライアキャリー、ボーイズⅡメンなんかが流行ってはいた。

宇多田ヒカルはそこにちょっとしたビブラートを聞かせて日本人に聞きやすい様に解釈して曲作りをして浸透させたのである。

まるでそれは初めて藤田田さんが日本にハンバーガーをもって来た時の様な物である。アメリカン人の物まねの様な音楽をしていたわけでは無いそこが偉大なのである。

              藤圭子と言う伝説のシンガー

藤圭子さんとは宇多田ヒカルの母親である。この人の歌は物凄いと言う形容しか正直出てこないのである。

まるで血を吐くように歌うのである。映画の中から出てきたかのような存在感とまるで人形の様に目鼻立ちがくっきりとした容姿どれをとっても完璧である。

現在この様な歌手を登場させようとしても無理なのではないかと思ってしまうのである。深さと言うか本物感が本当にすごいのである。

少女の頃や小さい時にこの年代の人たちはとても苦労して来たのであろう。

それが彼女の歌からは伝わってくるのである。気持ちを伝える事に関しては宇多田ヒカルを超えていると思う。

巨人の星の中でも彼女の歌は登場してくるほどである。それだけ彼女はその時代を代表する人であった事が伺えるのである。

しかし彼女が活躍したのは少し位時代である1970年代までであり1980年代になると彼女は人々の中でそこまで必要とされなくなってしまうのである。

人々はリアリティーを求めなくなり松田聖子や中森明菜のようなアイドルを求める様になっていくのである。

言い換えると歌と言う物が大人の物から子供の物へと主導権が移った時代に突入してしまったのかもしれない。

               忘れられた母親と脚光を浴びた娘

藤圭子の存在が忘れ去られて何十年後に宇多田ヒカルと言う人が登場するのである。私はこの出来事は少し悲しい話でもあるのかななんて思うのである。

親子鷹なんて言葉もあるがそんな生易しい事ではないのではないかと思うのである。

一度脚光を浴びた事のある人間はいつまでも人々に脚光を浴び続けたいと思う物なのではないだろうか?

娘が成功するにしたがい、藤圭子さんの中には一種の嫉妬とも思えるような感情も巻き起こっていたに違いないのである。

晩年の藤さんはとても奇行の多い人として週刊誌などで度々報じられるようになるのである。元旦那でありヒカルさんのお父さんとは何回かくっついたり離れたりを繰り返していたと記憶している。

ヒカルさんも正直そんな母親を見るにつけ悲しい気持ちがこみあげて来たに違いない。

自分を責めた事もあったに違いない、もしかしたら自分が成功しなければ母はあんな死に方もしなかったし、奇行もしないで家族で幸せに生活出来たのではないかと悔やんだかもしれない。

少女のヒカルさんはきっと母親に認めてもらいたいと歌を一生懸命歌ったことであろう。

何が幸せで何が不幸と言う話をしたいわけでは無い。多くの人々を楽しませたり喜ばせると言う行為は裏ではとてつもない努力と物語があると言う事を伝えたいと言う事である。

宇多田ヒカルさんも藤圭子さんも同じこの世に生まれ落ちた一人の人間であった。テレビの中で一緒に歌う姿を一度は見て見たかった。

しかし宇多田ヒカルの歌手としての成功には藤圭子さんと言う存在が無くてはならなかったし、これからも彼女に影響を与えるのは母が一番であろう。

だからこそ私たちは彼女を聞いて感動したりするのである。

その歌の正体が一種の愛情の飢えから生じるものであるから…

だからこそ宇多田ヒカルはアーティストなのかもしれない。日本一のシンガーソングライターなのかもしれない。

これからも彼女を応援していきたい真に…

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宇多田ヒカル

宇多田ヒカル(ウタダ ヒカル) シンガー・ソングライター。1983年1月19日生まれ。A型。1998年、シングル「Automatic」で日本デビュー。翌年リリースしたアルバム『First Love』で、約765万枚という驚異的な売上げを記録する。日本を代表する女性アーティストとして活躍。

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        藤圭子

1969年「新宿の女」でデビュー、70年「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得し日本レコード大賞大衆賞を受賞。 79年に引退し渡米、81年に藤圭似子として再デビューした。 82年に音楽プロデューサーの宇多田照實と結婚、長女は宇多田ヒカル。

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