現代社会を生きているとどうしても自分と他人を比較して生きてしまいがちです。自分の経歴であったり、自分の容姿であったり、自分の年収であったり、

自分の育ちであったり、あらゆる事で比較して自分の自己肯定感をどうにかしてあげようとするのが人間だと思います。

私の少年時代の話をしていきたいと思います。

私は以前自分の体形が少し太っていたと言う事を記載しましたが、小学生当時の私は柔道もしていたので、少し体力には自信ををもっておりました。

柔道で、少年大会などで銀メダルを獲得したりしていたのでなおさら鼻にかけていた事を覚えております。

そのころの私はと言うと、柔道で覚えた技を友達にかけて楽しんでいるような子供でした。あたりまえですが、友達は全然喜んではいませんね。

そんなことにも自分は気づかずに生きていたのかもしれません。

その中でもW君にたいして私は毎日の様に柔道技をかけては楽しんでいた事を覚えております。

W君は少しひょろっとしてあだ名はこんにゃくなんて呼ばれている様な少年でした。私は彼の体型だけを見て彼を馬鹿にしていたのです。

毎日毎日、彼からしたら、地獄の日々だったかもしれません。

言うならば、ジャイアンとのび太見たいな関係だった様です。

先生もなぜか私の事は指導もしませんでした。言っても無駄だなんて思ったのかもしれませんね。今だった大変な事になっておりました。

小学校の時は彼の体型だけを馬鹿にしていつも彼をいじめていた事を覚えております。

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  中学生での十倍返し

しかし中学校に入るとそんな彼に、やり返された経験があります。

彼に殴られたとかそういうわかりやすい経験ならまだしも、鮮やかにやられてしましました。

中学生になると体育際がありますがその時に私とW君がまさか紅白に分かれて応援団長に任命されたのでした。

任命とありますが、私の記憶違いでもしかしたら、立候補だったかもしれません。本当人生ってなにがあるかわかりませんよね。

結果としては彼の率いる白組が圧倒的に勝利して、応援賞もチームでの勝利もすべてもっていってしまいました。

その時の私の頭の中は真っ白になっていた事を記憶しております。

自分の負けを分析してみると本当にいろんな事が見えてきます。

彼は日ごろから周りと密にコミュニケーションをとっていたのです。

それどころか、彼の体から出される声は応援団長に生まれてくる為にあるような声でした。練習もとてもまじめにしていたのです。

かくいう私はと言えば、上っ面ばかりで、練習も表面的な事ばかりして周りとも少し壁を作っていた事を覚えております。

負けるべくして負けたと言うとても記憶に残る出来事です。

なんだか油断して負けた佐々木小次郎の気分でした。

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巌流島の戦い

その頃生徒会長や野球部の部長などをやっていた自分にとってはとても耐えがたい記憶ではありました。でも負けたのは現実です。

今でもその頃の事は覚えている位ですから私の人生にとって大切なターニングポイントの一つだったのかもしれません。

最近ゲッターズ飯田さんが人を馬鹿にするよりも馬鹿にされる方が運が良くなるとおっしゃっていた事が記憶に残ります。

私も人に馬鹿にされると、少し怒ってしまった過去がありますが。

その言葉を聞いた時に妙に納得がいったのは上記の記憶があったからだと思います。人に馬鹿にされても人から命までは取られません。

私もこれからの人生で人に馬鹿にされても良いから頑張って生きていこうと思っております。

皆さんもこれから頑張っていきましょうね。(^^♪

巌流島の戦い

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘、およびそれを題材として公正に行われた戦いのこと。

巌流島

山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ島(微塵等)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、住所は「下関市大字彦島字船島」となっている。

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