この度ソフトバンクホークスが読売巨人軍を下して日本一を三年連続でつかむに至った。私はそこまでホークスのファンと言う事ではないが

工藤公康と言う人間には前々から少し興味関心を示していた。

ソフトバンクがこんなに強くなるなんて、1990年代後半には思いもしなかった事を覚えている。ダイエーホークス時代にはバスに卵を投げつけられるほど、ファンに対して恥辱を振りまいて負けまくっていた印象なのである。

ホークスが強くなりだしたのは、彼らが西武から移籍し始めてから始まったのだと少し思いだす。そう秋山幸二と工藤公康である。

この二人が来ることによってそれまでのホークスから完全に違うホークスに生まれ変わった感じが見ている人間にもはっきり分かったのである。

西武時代の秋山幸二の年棒が1億7000万円、工藤公康は1億6000万円程、

西武から移籍してホークスに渡った翌年に大幅に年収が増えたわけでは無かった。

今の野球選手と違いフリーエージェントは少し風あたりが悪い状況であり、このサラリーマン官僚社会が根強い日本において違うチームに移籍する事は、落合までとは言わずとも、異質に感じた事を覚えている。

もう二人とも30代も中盤位になっておりそのまま西部ライオンスで野球生命をおえたとしても何ら不思議ではない状況であったのだから。

王貞治がその時期監督を務めていたのと、もう西武ライオンズには二人ともいたくないと思った事が本音だったのかもしれない。

その後、ホークス以外監督やコーチに就任していない所を見ると、その様な色合いが強い事を覚える。

「工藤公康 カーブ」の画像検索結果

健康こそ成功や富に繋がる

工藤公康の投手としての特徴を記すとすれば、その左腕から繰り出される、

ストレートとカーブの緩急の凄さこの一言に尽きると思う。

右腕で同じような存在を挙げるとすれば迷ううことなく、元巨人の桑田真澄を挙げる。その位工藤のピッチングは見ていてすごかったし、気持ち良くもあった。

まずカーブがすさまじく美しいのである。少し山なりになるカーブは

ぱっと見て簡単に打てそうに見えるかもしれないがそこはとてつもなく計算され尽くしてキャッチャーミットに収まる。

桑田真澄も(スピードガンなんていらない)と言っている様に実際の早さよりも格段に速く感じていたのでは無いだろうか?

現役時代、健康と肉体管理を徹底し、特に栄養値の高い食事をしたり青汁を飲んだりするなど体調管理には気を遣っていたことで有名だが、

そうなったのは結婚してからで、それ以前は毎日のように朝まで飲み歩いては二日酔いのまま登板するという不摂生な生活を繰り返していた 様である。

そこもなんだか工藤公康らしい。そこで歯止めが利かなかったのが清原和博だったのかもしれない。

もし工藤と同じように思う事ができたのであれば同じような、いやそれ以上の評価を得ていたに違い無いのである。

徳川家康も健康に対しては医者よりも詳しかったと言われるが、長く成功を収める人間は実に健康にたいして気を使っている人間が多いのが事実である。

エベレスト登山で有名な三浦雄一郎さんも健康に関してとても気遣っておられます。

サラリーマン社会の反対を行く優勝請負人

終身雇用制が確立されていた1990年代においてフリーエージェント宣言をする野球選手は異質にみられていた事を思いだす。

外資系企業であれば今の会社より多くのお金を自分に払ってくれて自分を正当に評価してくれる会社に行くのが当たり前の社会であればそれは無いのかもしれない。

しかし1990代以前の日本にはそんな事はなかったのである。経済は右肩上がりで

飛ぶ鳥を落とす勢いのジャパンアズナンバーワンなのである。

しかしそんな栄光もバブル経済の崩壊とともに当たり前ではなくなった。

落合博満が中日に移籍した事を皮切りに続々と様々な選手が移籍をしていったのである。

プロ野球が本当にプロ野球になったのはこの頃なのではないかと私は思うのである。それまでの野球選手はトレード以外では自分のチームから出る事が出来ない

サラリーマンに近い個人事業主だったのではないだろうか。

練習もチームの決められたメニューをこなし、首を切られたときに初めて自分が個人事業主と言う実感を思い知らされる。

そこに年金等と言う物は無いのである。

工藤公康には5人の子供さんがいます。5人もお子様がいれば自分が頑張っている所を子供に少しでも長く見せたい、子供のために頑張りたいと思うのが自然だと思われます。だからこそあんなに長く野球人生を続けられたのかもしれません。

工藤公康は西武、ダイエー、巨人、横浜、西武と渡り歩いております。

まるで板前が板前修業するために店を転々とする様に、違うチームに移籍しております。その間11回も日本一を経験しているのですから、

この人を獲得したいと思うのは無理はありません。高齢のためそこまで活躍できなかった横浜でも後進の選手に良い影響を与えたに違いありません。

この人から感じる事は、自分の価値を高めるには、健康が大事である事、そして技術を磨き続け周りに認めさせる事それが大事である事を本当に痛感いたします。

現代の日本ではようやく彼の様な野球人生も当たり前になり、

日本企業でも中途入社で出世する人もでてきました。

もっともっと、自分を磨き自分の価値を高め、日本自体が価値ある国になっていけばななんて思いました。

工藤さんにはいつまでも若々しくお元気で頑張っていただきたいものです。

ホークス以降年棒推移

1995年  1億6000万円

1996年  1億6000万円

1997年  1億4500万円

1998年  1億6000万円

1999年 1億5000万円

2000年 37歳 1億5000万円と契約金7500万円

2001年 38歳 3億円

巨人時代

2002年  2億4000万円

2003年  3億円

2004年 2億8000万円

2005年  2億9000万円

2006年  2億9000万円

横浜ベイスターズ

2007年   9000万円

2008年   1億1000万円

2009年   5000万円

2009年時点で46歳です。

「工藤公康」の画像検索結果

工藤 公康(くどう きみやす、1963年5月5日 – )は、愛知県豊明市出身の元プロ野球選手(投手)ソフトバンクホークス第20代監督(現職)。

現役時代は14度の優勝、11度の日本一を経験。西部、ホークス、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれた。日本シリーズ通算最多奪三振(102奪三振)記録を保持する

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