私は小さい頃非常に太っていました。体重はあまり覚えてはいないけど、明石家さんま大先生に出演していた内山君のような体型をしていた。

汗っかきだし、おなかは出ているし、足は遅いし、何よりそれに本人は全く気付かなかった。

不思議と周りのみんなは何も言わずにいてくれたのかもしれない。

そういった意味では私は小さい頃に本当の友達と呼べるような人はいなかったのかもしれない。

幼稚園時代私は自分が太っていたとは少しも思っていなかったが、それは周りの先生方が気を使ってくれていたからだと想うことが大人になるとよくある。

不思議と小さい頃は体型について一切馬鹿にされる事はなかった。

それは今思うと良いことではなかったのかもしれない。

小学生の時になると少しづつ自分の実力がわかり周りの目線声も聞こえてくるので

自分の評価がわかってきた。でももっと早くわかってればなんてことは多々あったものだ。

私が敬愛するゲッターズ飯田さんも言うように馬鹿にされたほうが馬鹿にされたほうが馬鹿にするよりは良いと言っています。

私も幼稚園の時代にもっと馬鹿にされていれば良かったと思う事が多々あったものである。

大人になって職場で叱責を受けたり、取引先、仲間から酷いことを言われる事が多々あるが私も大人になり切れず反論してしまう事が多々ある。

何度かあまりにこじれてしまい会社を退社しようかとおもった程だ。私が悪かったのだろう。

人に馬鹿にされると運がたまるのかもしれない

不思議と馬鹿にするよりも気持ちは楽である。

もっと人に馬鹿にされてもいいと思えるくらいな男に私もなりたいと思う。

人生はあまりに長いのだから・・・

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その反対に私も職場でどうしても人に当たったり、人を小ばかにしてしまう事が何回かあったがそんなときは必ずと言って良い程、同じように人に叱責されたりすることがあったのである。

実に不思議なことだななんて本当におもったものである。

人間は相手にしたことは大体自分にも跳ね返ってくるものなのかもしれない。

そのメカニズムについては誰もそう簡単には解明できないかもしれないけど、人間のもっている罪悪感がそうさせている部分もあるのかもしれない。

だからと言って氷の様に冷たいサイコパスの様な人間はその報いを受けないなんて事を言っているわけでは無い。

彼らもそれなりの報いは受けるのだ。

大切なのはあまり気にしてもしょうがないと言う事なのかもしれない・・・

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